ズッキーニの茹で時間
はじめて会った時の自己紹介は「私、ズッキーニみたいって言われるんです」という言葉だった。
ズッキーニはウリ科の食べ物で蛋白な食べ物だ。かぼちゃなどに比べて味が薄い。それゆえに、どのような食材や料理にでもあう。
そんなズッキーニみたいに、誰とでもうまくやれるのが、ミサコだった。わるくいえば、八方美人。よく言えば、コミュニケーション力が豊かということだろうか。
実際にズッキーニのように、僕との相性も良かった。話は聞いてくれて、表情が豊かで、距離感も近くて。僕が恋に落ちるのに時間はかからなかった。
出会ったのは大学の新歓だった。春だった。そして、2人で食事にいった。渋谷のパスタ、表参道のフレンチのランチ、そして、みなとみらいの景色のいい和食、恵比寿のビストロ。桜が散り、雨が振り、初夏がきていた。気温があがっていくとともに、僕たちの温度も高まっていった。
ズッキーニの彼女だから、サークルの他の男性とも仲良くしていたけれど、それは彼女がズッキーニだからしょうがないと思っていた。
ミサコと僕は、うまくいっていると思っていた。
でも、そんな関係も、ある日終わった。
「彼氏ができたから、もう2人では食事できない」
あんなにうまくいっていたのになぜ、という疑問が溢れ出た。どうして、他の男なんかと。
ミサコは言う。
「ズッキーニは、ゆですぎると崩れちゃうの。」
僕がその意味をわかるようになったのはそれから5年も経ってからだ。
人に思いを伝えるのに3ヶ月は遅すぎた。5回も2人で食事にいって思いを伝えないのは怖がりすぎた。
ズッキーニの茹で時間のように、恋愛にも適切な温度の時に思いを伝えなければいけないのだ。
大人になって、ズッキーニにククルビタシンという苦味成分が含まれていることも知った。だから、僕は今でもズッキーニーを食べるとこの苦味とともに、ミサコのことを思い出す。
金曜日の過ごし方
会社の飲み会で、話は恋愛に向かう。
1人の男が懇意にする女性がいる。今まで3回ほど食事に行った。前回は金曜日のデートだった。しかし、何もできなかった。ようやく女性の過去の恋愛の話が話題にでた程度だ。
男はその女性が気になっている。しかし、女性にどう思われているかわからないので、踏み込めない。失敗するのが怖い。恥ずかしい。
次回のデートを誘いたい。来月、彼女がTOEICを受けるので、その打ち上げにデートを誘おうと考えている。
そこで同僚の男がいう。
「お前は何か勘違いをしているんじゃないのか。恋は、お遊びじゃないんだ。戦いなんだ。
お前は戦場で銃を突きつけられながら、『怖い』と背中を見せるのか。『戦って失敗したら、どうしよう』と恥ずかしがるのか。
この世は戦場なんだ。何を勘違いしているんだ。
その子を口説きたいなら来月なんておそすぎる。今週だ。なんなら今日だっていい。
『今日、時間ある?』と連絡するんだ。そして、会うんだ。そして、うまく思いを伝えるんだ。
いい子なら、1ヶ月もあれば他の男に口説かれる。お前は、目の前にあるかもしれない幸せを、ぼけっと見過ごすのか。」
同僚の女が言う。
「言いたいことはわかるけど、タケシ君はそういうキャラじゃないじゃん。草食じゃん。」
「だったら、金曜日に誘うな。
相手を口説かない食事なんか水曜日か木曜日に行け。相手に申し訳ない。金曜日は異性を口説くための曜日として空けておけ。」
「じゃあ、私、今週の金曜日が空いてるの。女性は空いている金曜日をどのように使えばいいの」女が肉をフォークで突きながら言う。
男は言う。「『1人や女友だちと過ごす金曜日なんてまっぴらだ』と思いながら過ごすといい。きっと翌週の金夜には予定を入れたくなってるから」
「そんな金曜日の過ごし方は嫌だから、セイジさんが私の金曜日を埋めてよ」
男は少し考える。赤ワインを一口飲む。
「悪い。俺は週末は会社の人とは過ごさないようにしているんだ。休日出勤になっちゃうから。俺にとっての週末は、金曜日の19時から始まっちゃうんだ。」
話を聞いていた上司が言う。
「たまの休日出勤も悪くないぞ。振替休日も取れるしな。」
上司が社内恋愛であることを皆が思い出す。
そんな話をしながら木曜日の夜が深まっていく。
お店にまつわるエピソードを巡る冒険
彼はレストランを選ぶのが好きだった。そして、選んだレストランに行くと、必ずお店にまつわるエピソードを話してくれた。
- この松見坂のバーは、歌手の福山さんがオーナーという噂があるんだよ。本当かどうか知らないけど、雰囲気のあるバーだよね。ユキちゃんは福山好きだよね?
- このお店は、1960年にオープンして、当時またイタリアンが日本にない頃に日本に広めていったお店の1つなんだ。バジリコパスタを作る時に、バジルが手に入らないから、パセリや大葉を使ったんだって
- ここは、ブッシュ大統領がきた時に小泉首相と食べた和食なんだよ
彼が「エピソードのある店を選んでいる」のか、「行きたい店を調べるとエピソードがでてくる」からかわからない。多分、両方なんだろうと思う。
私は、あまり興味のない風を装っていたけど、実は彼のエピソードを聞くのが好きだった。
たまにそのエピソードに質問をすると、答えてくれたり、一緒に考えたり、「その指摘はその通りだね。気づかなかった。調べてみるよ」と言ってくれた。そのコミュニケーションも楽しかった。
だから、友達が選んだお店にエピソードがないと、まるでフレンチにデザートがないような気分になった。私自身が勝手にエピソードを調べることもあったほどだ。
だから、彼が私の誕生日に選んでくれたお店で、エピソードの話をしないということに違和感を覚えた。いつもは、店に着くまでの道のりか、席についた途中に教えてくれるのに。
そのお店は空間が広い素敵なお店だった。夜景があるわけでもなく、シャンデリアがあるわけではないけれど、落ち着いたこじんまりとした洋館だった。
どんなエピソードがあるんだろう。歴史があるのかな。芸能人がくるのかな。
私は、我慢できず、デザートの時に彼に聞く。ねえ、このお店のエピソードは教えてくれないの。
彼は少し沈黙した後に言った。
「この店は、僕がユキにプロポーズして、OKをもらうお店なんだ」
今までで聞いたエピソードで一番素敵なエピソードだった。でも、なんだか悔しくて私は言う。
「そのエピソードなら私はもう知ってるけど」
ホテルのバーへ行け
私が、ニューヨークに一週間の旅行をしていた時の話だ。
その時に、日本人のミチヨさんという方と出会った。同じ宿の部屋だったのだ。ダブルベッドが2個あるシンプルな部屋。いわゆるドミトリー。そこで私はミチヨさんと出会った。
カールスバーグを共用部のテラスで飲みながらいろんな話をした。私は大学生で、彼女は、多分40歳くらいだろうか。でも、宝石の買付けにきているというミチヨさんは、仕事柄か衣装やメイクも派手で、あまり40歳には見えなかった。髪型なんて黄色だった。マルボロを美味しそうに吸っていた。それなりに年の差はあったけれど、かわいがってもらった。
私は進路に悩んでいた。就職活動がうまくいかず、就職浪人をしようとしていた頃だ。何もかもが嫌になって、日本を飛び出してニューヨークにきていた。突発的な行動だった。ニューヨークには何かあるに違いない、と思ってでてきたけれど、実際にあるのは、美味しいベーグルとミュージカルくらい。私の疲弊した心を落ち着かせるものには出会わなかった。私はあらゆるものから逃げ出したくなっていた。
ミチヨさんに、そんな泣き言をテラスで話をした。そんな私にミチヨさんは言った。
「そんな時は、とりあえずホテルのバーに行きなさい」と。
そして、彼女は言う。1晩いれば、2〜3人は声をかけてくる。その中で、自分が魅力的だと思った人と会話をしなさい、と。
「そうすると、生きなきゃ、と思うから」
その時に、私は、「はぁ」と答えた。私にその意味はわからなかったからだ。私はホテルのバーで飲んだことはなかったし、そもそも知らない人とそうやって話をしたこともなかった。そんな私にミチヨさんの話は遠い世界の寓話のようにしか聞こえなかったのだ。そんなことを私が挑戦するとさえも思わなかった。だから、私はミチコさんの質問を深掘りすることをせず、その意図も理解していなかった。
でも帰国してから1ヶ月。相変わらず何もかもにやさぐれていた私は、ミチコさんの言葉を思い出す。そして、その言葉だけを頼りにホテルのバーにいく。
何もわからずに、何も想像せずに。ただ金髪のミチヨさんがマルボロの煙を吐きながら言った言葉を信じて。
結果的に、たしかに何人かの男性には声をかけられたし、思ったよりスムーズに私は、その人達と話をすることができた。そして、いろんなことがあった。ホテルのバーでの出会いはいろいろなものを生んだ。想像しているよりもそれは大きなうねりだった。そして、今、ミチヨさんが言うように、私は、それなりの紆余曲折を経て、まだ生きている。
ミチコさんの言わんとしたことが、今は少しは理解できる。
多分、わたしたちは打たれ弱い。人間関係や仕事の失敗ですぐにへこむ。気分がふさいでしまう。
しかし、その人間である私達は、生き物だ。生き物である以上、遺伝子を残したいという欲求は想像する以上に強い。普段は表に出てこないけれど。バーの会話は、その遺伝子を活性化させる力があるのだ。
そして、その力が表にでた時は、ちょっとした失敗やめんどくさい日常のことなんて吹っ飛んでいくのだ。だって、種を残すために、そんなことで塞いではいられない。その時は、私は自分が動物だということを理解する。
ミチコさんと飲んだカールスバーグはそのバーで飲めないのが残念だけれど、いつか、ミチコさんとこの話をカールスバーグを飲みながらしたいな、と思う。
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友人の話を許可を得た上、脚色してネタ元にさせてもらいました。
ブルゾンちえみのメッセージが持つパワー
「「ブルゾンちえみ」が圧倒的な支持を得た理由」という記事を読んで、ある友人の話を思い出した。
彼女はシングルマザーで娘がいる。13歳。思春期だ。
その娘とお風呂に入っていると、娘から教えられる。
「彼氏と別れた」と。付き合っていたというのは、数週間前に聞いていた。早熟だな、と思ったけれど、止めるほどもなく静観していた。
でも、数週間で別れるというのは早いな、と母は思う。
理由を聞くと、「私よりも男の子と遊ぶのを優先するから」と娘は言う。かわいいな、と母は思う。でも残念なことに、男は、大人になっても、遊びを優先してしまうよ、と思ったけれど、口には出さない。「そっかー」と母は言う。
娘はお風呂に出て、歩きながら歌う。ブルゾンちえみのネタを。
「味のしなくなったガムをいつまでも噛み続けますか。」
「新しいガム、食べたくない?」
そして、世界にいる35.5億の男のフレーズに移る。
彼女は、自分の心境に照らし合わせて、そのネタを口ずさむ。恐らくブルゾンちえみのメッセージに共感しながら。自分の別れを正当化してくれるこのメッセージを。
もちろん、このネタが彼女の別れを後押ししたとは思わない。でも、それでも、多少なりとも、このメッセージには勇気づけられたのではないか。あるいは、35億の男の存在に勇気づけられながら。
いままでの新興芸人の一発ネタは、メッセージ性がないものが多かった。ラッスンゴレライ、フォー、ダンソン、あったかいんだから〜。
それらに反して、このブルゾンちえみのネタのメッセージ性は非常に強い。この記事にもあるように。そこらのラブソングなどよりも強いフレーズだ。
- 1つの恋愛にグジグジするな。次へいけ
もしかすると、このネタのおかげで日本の女性で、別れを決意した人たちが数人、もしかすると数十人、数百人いるかもしれない。
35億の心強さに。
そう考えると、このネタがもつパワーは大きい。
ただ、芸人もガムように味がしなくなければ捨てられる定め。35億よりは少ないけれど。
味が続くように願っております。
野球部のマネージャーの彼氏は誰?
野球部のマネージャーで、アイコという女の子がいた。かわいい女の子だった。今の子たちには伝わらないかもしれないけれど、タッチのミナミのような、少し勝ち気のある女の子だった。
もう1人、タカコというマネージャーもいたけれど、彼女は男勝りなキャラだったので、アイドルという位置付けではなかった。だから、僕たちのアイドルはアイコだった。
みなはアイコに応援してもらうために頑張った。彼女に喜んでもらいたいために頑張った。
中学生よりは自分の心の正直だけど、大学生よりは素直になれない思春期の僕ら。ただ、その持て余した感情を抱えて、それを発散するがごとく走り込みを続けた。彼女の笑顔をガソリンに走るトラクターだった。雨の日も、真夏の日も、土日も走り続けた。
でも、幸いなことにアイコには彼氏がいなかった。だからこそ、みなのガソリンであり続けた。一歩間違えれば、今でいうサークルクラッシャーになっていたかもしれない。まさに火がついたガソリンだ。ただ、彼女は特定の人と仲良くなるようなことはなかった。せいぜい、帰るタイミングが一緒になった相手と一緒に帰り、帰りにたい焼きを一緒に食べる程度の距離感だった。
状況が変わったのは秋だった。夏の県大会が終わり、少し落ち着いた。グラウンドには涼しい風がふきはじめた。
その頃、「野球部内にアイコの恋人がいる」という噂が経ち始めた。どうやら、アイコの友達が、アイコからその話を打ち明けられて、思わず拡散してしまったというのが流れらしい。ただ、その女の子も誰と付き合っているかということは聞かなかった。その結果、アイコの恋人探しが始まった。
思春期の僕たちはストレートにアイコに「誰と付き合ってるの」なんて聞けない。帰り道などをチェックして、誰が怪しいかを探った。部員全員がお互いに疑心暗鬼になったものだ。まるで、レザボアドッグスの映画のように。
でも、特定できない。アイコは特定の男子と一緒に過ごすような素振りはみせなかった。
我慢できなくなった高校生の僕たちは、ある日、部室に集まった。男だけd.え
「アイコと付き合ってる者は名乗り出ろ」と。しかし、2時間、お互いを探りあっても、結局誰も手を挙げない。
誰かが嘘をついているか、アイコの噂は嘘か。しかし、誰も嘘をついているようには見えない。高校生ならではの真摯さがそこにあった。お互い汗を流しあった絆はそれなりに強固で、お互いを疑うよりは信じる奴らだった。
「アイコの恋人が野球部にいる」という噂が嘘だったという結論になろうとした時、ある男が言った。
「監督じゃない?」
その一言が状況を変える。「確かに、監督と喋っている時は嬉しそう」「監督の車で家に送ってもらってた時もあったみたいだよ」「アイコは年上好きなのかも」と、いろんな話がでる。
そして、その場では「監督と付き合ってるのではないか」という結論で終わった。
それから、僕たちは練習に身が入らなくなった。アイドルであるアイコと付き合ってる監督に教えてもらうことなどない、という気持ちだった。
監督はサボる俺たちを怒る。でも、俺たちも同じくらい怒っていた。部が解散の危機だった。そして、僕達は甲子園に出ることなく終わった。
それから3年後のことだ。真相が明らかになったのは。アイコが付き合っていたのは監督ではなかった。同じマネージャーのタカコだった。
高校生の僕たちは、まだまだ想像力が足りなかったんだ。
いつか、監督に、謝りに行かなくちゃな。
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今週のお題「部活動」
あなたは沈黙を楽しめる?
「沈黙を楽しめる人」と彼女は言った。
僕はその言葉がズシっと胸に響き、意図せずに沈黙を生み出してしまう。
それは、「どういう男性が好きなの」と聞いた質問の回答だった。よく聞くような「筋肉ある人」「背の高い人」「面白い人」とは違った回答だった。
その回答で、ある映画を思い出す。キル・ビルで有名なタランティーノ監督の2作目の映画だ。「パルプフィクション」という映画のあるシーン。
そのシーンの登場人物は2人。マフィアのボスの愛人とマフィアの子分。ボスが用事で愛人の世話をできないので、子分に愛人の暇つぶしの相手を頼む。子分は、ボスの愛人とレストランに行く。
ボスの愛人とボスの子分だから、会話はない。ボスの子分は、愛人を怒らせないように気を使うし、ボスの愛人は自分からネタを広げるほどの積極性もない。
そして、沈黙が流れる。そこで、ボスの愛人との会話が繰り広げられる。
愛人:こういうの嫌い?
子分:何が?
愛人:気まずい沈黙。なぜ人は気まずさを紛らわせるために、くだらないことをしゃべらなきゃと思うのかしら
子分:なぜだろうね。興味深い
愛人:でも、もし大切な人とだったら、沈黙を楽しめるわ
子分:まだ僕達はそこまでの関係じゃないよ。でも、気まずく感じる必要はない。知り合ったばかりなのだから
愛人:じゃあ、トイレに行ってくる何か話を考えておいて
彼女の言う「沈黙を楽しめる人」ということの魅力はわかる。しかし、マフィアの子分が言うように、「知り合ったばかり」で沈黙を楽しむのは、それは別の話ではないか。知り合って、沈黙は楽しめることは不可能ではないか。
でもな、と思った。相手が魅力的だと思えば、見ているだけで楽しめるかもしれない。会話がなくとも。表情を見ているだけで。あるいは目の動きを見ているだけで。
そう考えると、それは「知り合ったばかりだけど沈黙を楽しめる」ことになるのかもしれない。
でも、それって「相手が魅力的だと思うから沈黙を楽しめる」のであって「沈黙を楽しめるから、素敵な人だと思う」というのは、因果関係が逆なんじゃないか。
なんてことに考え込んでしまい、慌てて、彼女の顔を見ると、微笑で私の顔を見つめてくれていた。