眠る前に読む小話

寝る前に1分ほどで読める小話です(フィクションとノンフィクションまぜこぜです。最近テクノロジーをテーマにしたものに凝ってます)。読者になっていただけると欣喜雀躍喜びます あとスターも励みになります!

温泉でも行こうなんていつも話してる

温泉でも行こうなんていつも話してる

落ち着いたら仲間で行こうなんてでも

全然暇にならずに時代が追いかけてくる

 という昔のiPhoneから流れる。Google musicで懐かしい曲をランダムプレイしていたら、リンドバーグの次に流れた。

タクシーの窓から雨の振る六本木の町並みを眺めると、ロスト・イン・トランスレーションを思い出し、そこから記憶はこの曲を聞いていた頃に飛ぶ。

これを聞いていた頃は、未来は無限だった。弁護士にでも、経営者にでもなりたいと思っていたし、30代なんておじさんだと思っていた。やれ30歳を超えても、なんら自分はまだ若いと錯誤している自分に気づく。

こんな思いをきっと誰でも抱く。どこにでもある陳腐な自己憐憫。それでも、自分に起こる回想は一度切りで、その感慨を所在なさげに弄ぶ。

どこかで読んだり聞いたりしたようなセリフを自分でも口ずさむ。「自分の可能性がいつか限られたものだと気づく。気づけば、決まりきった人生のレールに乗って、死へ向かっている自分がいた」なんて。

ただ自分が子供の頃と思っていたことと違ってよかった点が1つある。「自分はつまらないサラリーマンになんてならない」と憤っていた。「毎日、くたびれて缶コーヒーを飲みながら、居酒屋で愚痴を言う大人なんてならない」と思っていた。ただ、思ったよりそのサラリーマンの人生も悪いものではなかった。それは諦めなどの諦観ではなく、思ったよりも、日々生きるということがどれだけ大変かわかり、それゆえにこそ、毎日を過ごすことの尊さが理解できたからだろう。子供の頃は、こんなに生きるというのが大変だとは思わなかった。朝の5分がこれほど貴重なものだと思わなかった。だからこそ、自分は生きることに感謝しているし、今日も1日終わった自分に向き合うことができる。未来がどのようなものになるかわからないけれど、とりあえず今日は1日無事に終われたことに感謝して。

今度の連休は1人で温泉でも行こうか、なんて考えてみる。うまい蕎麦でも昼に食べて、夜は懐石でも食べて。そして、自分の歩んだ道をたまに思い返して、そして、昔、読んだ本でもKindleにでも入れて。そこから久しぶりに大学の友人にでも電話してみようか。

雨の中、タクシーは三軒茶屋を超えていく。