台風で思い出すこと
昔の恋人は、台風がくると、そわそわしだす人だった。喜びではなく、なんだか「非日常」に対する高揚感を感じているような。それは、小学生が雪の日にテンションがあがるのと同じことなのかもしれない。
彼は台風が来ると、屋内に閉じこもり、ニュースやツイッターを見て、世の中の大変さを真摯に眺めていた。そして、「大変だ」と憂いながらも、自分が屋内の安全な地域にいることの温かみを感じているようだった。
- 台風がくるとうれしいの?
と聞いたことがある。
- 違うよ。ただ、なんだかそわそわするんだ
と言っていた。まるで冬眠の前の動物のように手持ち無沙汰で部屋を歩きながら、窓の外の豪雨を眺める。私は黙ってミルクティーを彼にいれる。普段は紅茶を飲まない彼だけれど、その時は黙って飲んでいた。
台風がくる度に彼のことを思い出す。いまも彼は部屋で「台風だ。千葉の人は暴風雨だ。大変そうだ」とつぶやいているのだろうか。非日常のアドレナリンと憂いを混ぜ合わせて、落ち着かなさをみせているに違いない。音声を消したNHKを流しながら、暗い部屋で本でも読んでいるに違いない。
それとも、
- 彼は台風が怖かったのだろうか
と思い返すこともある。
そして、私は結局、彼のことを何も知らなかったのだ、と思い返す。ノルウェイの森の冒頭のように。