高校野球
子供の頃は親が高校野球を見ていた。それを見て私は「大人たちのスポーツ」のように思えていた。プロ野球との違いはわからず、何が良いのかわからなかった。
高校生になって、いつしか彼らと年を並べる。その頃は、同じ世代の人の戦いとして見るようになった。自分の都道府県を応援し、夏休みはそれらの有志を見ていた。
そして、社会人になった頃には、彼らの頑張りを眩しいものとして見る。自分が経験しなかった青春を謳歌する彼らの姿が見える。それが、いつしか社会に揉まれくすんだ自分にのしかかる。時に見ることさえも辛くなり、ニュースでの勝敗さえも見なくなった。
そして、しばらくたち、また高校野球が視界に入ってくる。高校野球が持つ「駆け引き無く全力で戦う」ということの妙味は、きっと彼らが何歳であろうと関係なく、そこに美しさのかけらが埋まっている。
まるでボッティチェリのプリマヴェーラに世界の胎動が見えるように、高校野球には、生というものが見え隠れする。私はこの夏も高校野球を通じて人生を見る。