2021年、愚痴が世界を席巻した
2021年、日本国民のストレス度は急速に高まっていった。経済成長の鈍化と少子化によるによる街の停滞感、それに伴う競争力の低下による賃金低下、オリンピックが終わったことによる脱力感。夢と希望を失った街は、世紀末さながらだった。
そうして、人の愚痴は加速的に増えていった。上司の愚痴が増え、それが部下に伝達され、部下はその愚痴を聞くことで、さらにストレスがたまる。そして愚痴が増える。その愚痴はさらに部下や同僚に撒き散らされ、それを聞かされる同僚や家族たちがまたそれに対する愚痴が増えた。
そうして、まるで風邪のウィルスのように愚痴は乗数的に広がっていった。もはや社会問題だった。
その時に生み出されたのが、カラオケならぬ、愚痴聞きというビジネスだった。30分3000円を払えば、相手は「うんうん」と愚痴をひたすら聞いてくれるのだ。反論もしない、親な顔もしない。同意をしてくれる。
誰にも言えない愚痴を吐き出したい人たちはこぞってそれを使った。「てもみん」よりもストレス解消になると、その店舗数は100店を超えた。
しかし、問題も起こった。愚痴を聞く人の方が精神をやられてしまったのだ。愚痴というのは怨嗟の固まりであり、聞く方も負荷がかかるのだ。
それを解決したのがロボットの投入だった。その名も「sokkar(ソッカー)」。ひたすら「そっかー」とあなたの愚痴を聞き続けてくれる。愚痴聞きロボットとして、あらゆる科学は投入され、日本のロボットはpepperかsokkarかと言われるほどになった。
人は人に愚痴を言いたいんじゃない。誰かに良いんたいんだ、という哲学のもと、そのロボットは作られた。
ただ、結果的にそのロボットは受けなかった。人は愚痴を「人に」伝えたかったのだ。その相手はロボットではなかったし、動物でもなかった(なお、競合は動物を使って愚痴聞きサービスをしたが、これも犬が吠えるだけで終わった)。
そこからわかったことは、人は愚痴を言うことで、そのストレスを相手に転化させることでストレスを軽減しているということだった。まるでエネルギー保存の法則のように愚痴も誰かにそれをぶつけるで減るという類のものだった。だからロボットに愚痴をぶつけてもロボットは愚痴が効かない。そのため、話ししている方も愚痴のストレスが減らないということになっていたのだ。
そうして、その産業はまた方向性を変えた。改めて人が愚痴を聞くようにした。しかし、話を聞く方がお酒を飲みながら聞くことにしたのだ。そうすれば、聞いている方は酔っ払っているから適当に愚痴は受け流すことができる。精神的な負担も少ない。
そうして、お酒をのみながら愚痴を「よしよし」と聞いてくれる産業が隆盛した。人はそれをキャバクラと呼んだ。